プロフィール

srail

Author:srail
細々と続けばいいかと思っています。
コメント、TBやリンクお待ちしています。

ランキング参加中
よろしかったらクリック願います↓
FC2 Blog Ranking

検索

カスタム検索

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

PR

srail日誌
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

花園駅~三条島津製作所間の引き込み線
京都新聞2009年9月25日の記事に、その昔に山陰線(嵯峨野線)花園駅から引込み線が引かれていたとの話があった。
「中村武生さんとあるく洛中洛外」という連載のなかの、右京区編の最終回ということだった。
その路線の概要は、戦後に連合軍が、島津製作所を接収し、その荷物運搬のために作ったもので、1946年8月5日に認可され、10月10日に完成したというものだった。
記事の中で、歴史学者の中村武生氏は、字際に現場を歩きながらレポートされていたが、今でも地図にその痕跡があるという。
花園大学のキャンパスの南西部分が、切り落とされたような形になっていて、そのラインが過去の線路跡と一致するという。確かに、そのまま行けば島津製作所にたどり着けそうだ。
地図

このような路線があったことは知らなかったし、高架化などでそういう手がかりは無くなっただろうと思って読み進めたが、歩いてみればしっかり痕跡がまだあり、しかもその道は私も何度か通った道であった。
これからはその地点を通る時に廃線跡に思いを馳せる事もできる。
身近な歴史を知ることができた。
記事の中ではまだ周辺住人の方々の記憶にも残っているようで、歩いて情報を得る事の大事さを知ることも出来た。

しかし気になることもある。この結びかただと、亀岡方面には直接いけても、もし京都方面に物を運ぼうとすれば、方向転換が必要になると思う。
花園駅に昔そのような施設や人員が配置されていたのか、それとも単純に2点間を結ぶための路線で、京都方面に需要が無かったか、他の方面に運ぶ際には花園駅で荷物を積み替えていたのだろうか。
このあたりは個人的には疑問であるが、こういうところまで調べるのはかなり難しいのだろうか。

話題は変わるが、とあるポータルサイトの地図は、昔のままになっていることがたまにあり、二条駅を拡大すると、いまだに構内の配線が残っていたりした。
高架化されてすっきりとした1面2線の駅になったが、確かに昔は側線があったし、電車運転ゲームにも登場していた。
このように、ネット上を探ればいまでも古い配線などを探る事もまだ出来るかもしれないと思うと同時に、新しい情報が溢れる反面、そんな古い情報がひっそり更新されずに残っていたのが面白かった。

今回の記事は、身近なところにも歴史が残っていることを教えてくれたが、地元の方々の証言が拾える状況のことを考えると、京都の紐帯の強さというか、地元への関心というものも感じられた。
過去の記憶がきちんと地域の記憶として残っているのはいいことだが、このような記憶が次世代に語り継がれるか、そのことが大事だとも思った。
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://srail.blog28.fc2.com/tb.php/171-067fe3c8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
ブログ内検索

Google AdSense

PR

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。