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武士道を読む
なんとなく、タイトルからして読んでみたい気はしていた。
しかしなかなか書店へ行く機会もなく月日がたった。
そのうち機会が出来て、たまたま1つだけ無造作に置かれているのを取った。
帰ってから気付いたことに、訳者は矢内原忠雄であった。
歴史で習ったことのある人物で、訳者にもまた歴史を感じさせられた。
タイトルの如く、直接的な兵法書のような類の物ではないとは思っていた。
読んでいくうちに「武士道」という日本古来の精神が今までの日本を作ってきたのだと思うようになった。
序章において、新渡戸は「忠」とともに日本道徳の両輪をなす「孝」について書けなかったのを遺憾に思う
と書いていた。
明治のはじめは「孝」優先であったといわれている。それが対外戦争をするようになって、「忠」優先へと切り替えられた
ということが言われている。
読む側から言っても、「忠」についてしか書かれないのは遺憾であって、著者がどう思っていたかは気になる。

さて、「武士道」はどこから来たのか。
著者曰く、道徳教義の五倫の道は「経書が中国から輸入される以前から我が民族的本能が認めていたところであって、
孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。」
著者に言わせれば武士道は日本人が本能的に持っていたということになる。
しかしその精神も今の日本ではもう失われたかに見える。その象徴のようなことが最近起こった。
「かくのごとく金銭と金銭欲とをつとめて無視したるにより、武士道は金銭に基づく凡百の
弊害から久しく自由であることを得た。これは我が国の公吏が久しく腐敗から自由であった事実
を説明するに十分な理由である。しかしああ!現代における拝金思想の増大何ぞそれ速やかなるや。」
新渡戸の言う「現代」昭和にはすでに官僚からは武士道が消え、影響が商売にも及んだ。
私たちの現代では、政治汚職はもう経験しても、さらに最近グレーゾーンなら事業を拡大するには手段を選ばない
といった風潮が広まっているように思う。
そしてそのトップが逮捕されるまではそれをもてはやすかのような論調もあった。
商売の世界だけでなく、「武士道」消滅による日本の損失は随分多いように見える。
一例は責任の取り方か。諸々の事件があったが、昔みたいに腹を切るようなことは無くなったといえ、
潔のよさというのも無くなったと思う。
上で書いた某事件に絡んでまた「事件」が起きたが、だれも責任とかいうのは果たした感じがしない。
そこで最終章は「武士道の将来」となっている。
新渡戸の「現代」ですら危うくなった武士道はどうなるのか。武士自体は徴兵告諭で
「世襲坐食の士は其の禄を減し、刀剣を脱するを許し」
と、書かれ、本の中でも言われる単なる武器以上の刀の特権を奪われ、あげく世襲坐食と名指しされた。
近代軍備のために職業としての武士は無くなった。武士道はどうか。
新道徳が不死鳥の如く起ると予言するものがあったと前置きした上で、
「しかし不死鳥はただおのれ自身の灰の中から起きいでるのであって、候鳥ではもなく、
また他の鳥からの借り物の翼で飛ぶのでもなきことを忘れてはならない。」と言い。
「武士道」は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。」
とも言った。
一国の大国によるグローバリゼーションが進んでも、それと対峙できる武士道を持った人がまだ居るかもしれない。
不死鳥は自ら起きねばならないなら、自分にだって武士道の灰の1mgは持っていないといけない。
その1人1人の灰の総量が増えていくことが望ましいことのように思えた。
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