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岐阜城と関ヶ原
今回の目的は鉄道ではない。
今回は歴史めぐりが目的である。
最初の目的地は岐阜城である。

まず新快速で米原に向かい、そこで乗りかえる。
米原では休日のためか、乗り換え客が多い上に、工事中で通路が狭く、混雑している。
なんとか乗換えが済んで、無事発車となった。
この電車は豊橋まで直通するためか人気が高いようだ。
休日の朝だというのに、満員で、地元の利用者らしき人達は皆驚いているようであった。
電車は帰りに下車する予定の関ヶ原を過ぎ、大垣を経て、揖斐川、長良川、を越えて岐阜に着いた。

駅からバスに乗り換えようとするが、初めてのことでよくわからない。
なんとか乗るべき停留所を見つけて、すぐにバスが来た。
なんとかギリギリで乗り込んだが、まだしばらくはこのバスで合っているのかわからなかった。
バスにはICカードも導入されているようで、結構利用客も多い。
休日のためか、道は空いていた。市街地を15分ほど走って、ロープウェー乗り場に着く。
バス停からそこそこ歩いたが、周りを見ると以外にも外国人らしい人が多い。
欧米系が多いが、言葉を聞くとアジア系も多い。なかなか国際的なスポットになっているのだろうか。
ロープウェー券を往復で買って、ちょうど発車するロープウェーに乗れた。
その車内から見た限りでも、充分山の険峻なことがわかる。
そびえ立つ、とはこのことかと思うほど急斜面である。
高さを見ると、かなりの高さで、これでは毎日徒歩で登っていたら大変だろうと思う。
やはり普段は麓の居館に住んでいたのだろうか。
頂上に着くと、もう結構な数の先客がいた。
しかし格好を見てみると、みんな登山客のようで、
どうやら登山スポットらしいのか、歩いてくる人も多いようだ。
天守閣の入り口に着くまでに、結構時間がかかり、すでに汗が吹き出している。

久々に蒸し暑さが帰ってきたような気候の日であった。
天守閣は模擬天守で、コンクリート造りである。
入り口にはビニールで幕がしてあり、冷房でもしているらしいのだが、
入ってみても冷気はあまり感じられなかった。
天守のなかは博物館で、甲冑などが展示されている。
信長の木像の複製は、意外にも穏やかそうな表情であった。
建物の真ん中には学校のような階段があって、天守には似つかわしくないが、
それが三階まで続く。最上階は展望がよく、城主気分を味わえる。
上からの展望してみると、川にもまもられ、登る事すら難しい急峻な尾根が続いている。
かなりの堅城ぶりがうかがえる。築城自体もかなり大変だっただろう。
展示は信長メインのようだが、道三の斎藤家や、土岐氏出身だという光秀の展示も多い。
最上階から外の展望スペースに出てみると涼しいが、
建物内は一階以外冷房がないようで、蒸し暑い。
汗がひかないまま、天守を出て、山上にある資料館にも寄る。
券は天守と共通で、すぐに着く。
中は小さく、ここもすぐに見終わった。
意外と早く見終えて、展望台にも寄ったが、町並みの展望はすばらしいが、
城の概要はよく見えない。
雨上がりの下りの階段に気を使いながら乗り場まで帰り、
ロープウェーに乗ってまた降りる。
行きとは違って、アナウンスには近代の話なども出てくる。
麓の駅に着いて、近くでやっているという信長の居館の発掘を見てみるが、
休日で作業はやっていない。
が、居館は文字史料などによると壮麗なものだったらしい。
発掘の成果がまたれる。

ロープウェー乗り場からさらに下りて、歴史博物館に入る。
中には城の全体模型などがあって、ようやく城の概要がイメージできた。
展示の中には、戦乱で焼けたらしい米や小豆なども展示されており、珍しい。
戦争があったことをを示す物として、歴史の本の中にはたまに出てくるが、
実物は始めて見た。焼けたおにぎりだとされる物などもある。
さらに奥に進むと、楽市楽座を再現した物もある。
市の責任者の商人の家なども再現されており、道幅などもなるべく正確に再現したという。
子供向けの衣装撮影コーナーなどもある。
責任者の家は、スペースの都合などもあるのだろうが、意外と狭く感じる。
公家が泊まったこともあるというから、本当はもっと部屋があったのかもしれない。
この手の立体での再現は、歴史を想像する上では役に立つし、楽しいものである。
山上ではやはりスペースの都合などのせいも有るのだろうが、
麓の博物館の方が見て楽しいと思う。
この楽市のコーナーだけは撮影ができるという。これも珍しい取り組みであるが、
歓迎すべきことだろう。

同時にやっていた、絵の展覧会なども見て、ちょうど来たばかりのバスに飛び乗る。
行き先はよく見なかったが、駅に行くらしい事は側面に表示されていたのでとりあえず乗ってみた。
行きとは微妙にルートが違うようだが、すぐに見覚えのある風景に戻ってきた。
あとは駅までは一直線であり、今度も15分ほどで着いた。
新しいショッピング街で、味噌かつと冷たいうどんの定食を食べる。
岐阜も味噌の文化圏であったか、と思いつつ、少し運動したせいか早く食べてしまった。
定食の麺はおのずと冷たい物を選んだが、やはりまだ暑いせいだろう。
時間を見てみると、最初に駅に着いてからまだ2時間ちょっとであった。
少し急いだようだが、大体このくらいでも充分だろう。

来た道を引き返して、関ヶ原を目指す。
大垣で乗り換えになって、関ヶ原に着いた。
まだお昼すぎであって、予想よりは少し早い。
駅前の観光案内所で少し話を聞いて、歴史民族資料館に向かう。
途中線路を高架で越えたところに東首塚という塚があって、
そのまま進むと右手には真新しい町役場があり、
左に白っぽい建物の資料館がある。
近づくと、なにやら音楽が流れている。関ヶ原をテーマにした演歌調のものであった。
資料館では、当時の馬の高さが再現された模型があって、
実際に乗ることが出来る。
説明によると、当時の馬はまだ小さく、人の平均身長も150センチ台後半くらいだったらしく、
そのくらいの高さでも充分だという。
実際またがってみると、トラックまでは行かないが、バンくらいの視点であろうか。
それほど慎重の高くない私にはちょうどよい高さのようにも見える。
人より多少視点が高ければ武将としても優越感はあるだろう。
戦国時代に私が行けば高い部類に入るのだろうか。
もっとも戦争はするのも見るのも私には耐え切れないだろうが。

説明によるとおそらく2万頭の馬が一同に会したというが、
下世話なことだが気になるのは糞のことであって、なかなか後が大変だろうと思う。
他には当時の山に作られた陣城のようすなどもあり、イラストを見ると、
結構山を造成するのが大変そうだなと思うくらい大規模である。
説明には「~と言われていますが皆さんはいかがでしょうか。」
といった表現で締められていることが多く、控えめでなんとなく好感が持てる。

二階にあがって、各大名の旗印などを眺めながら、新聞記事を読んでみる。
最近はゲームの影響で三成の人気が高まっているようだ。
今はゲームで美男子顔になると人気が出るというパターンがあるらしい。
歴史観にゲームが影響を与える時代になったということだろうか。
かくいう私も戦略シミュレーション物には多少はまっていた時期もある。
記事の続きを読めば、そういったもののせいか、人々は西軍びいきが多いようだ。
ボランティアの人も西軍の陣所ばかり案内を頼まれるらしい。
人は戦争に関してはいつの時代でも判官びいきらしい。
その隣の記事によれば、2000年になって子孫達によって模擬合戦が行われ、
それも結局東軍が勝ったらしい。
面白い試みだが、断絶した大名達の分はどうしたのだろうか。
その隣の部屋では鎧が多く展示されており、
本物かわからないが鉄砲で穴の開いた胴丸もある。

すこし土産を物色して、資料館でレンタサイクルを借りて外に出る。
レンタル料金は500円である。
もらった地図で充分だが、初めての土地はやはり方向感覚がなくなる。
細かいところがわからないので、コース順に行こうとしたのだが、
資料館のすぐ近所にある家康最後陣跡を間違えて通り過ぎたりして、
少し時間を食ってしまった。
最短の「決戦コース」(2.5キロ/1時間半)というのを参考にして、
次は決戦地の碑を見て、石田三成の陣地のあった笹尾山に行く。
陣跡には旗と柵がめぐらされて、駐車場もある。
柵があるだけで雰囲気が出てくる。
麓を少しだけ登ってみて、それで引き返すが展望は結構良く、
見通しはきく。もっとも、合戦当時は霧で視界がわるかったらしいが。

次に行くのは島津義弘の陣地跡である。
道路を横切って、集落の細い道に割ってはいる。
陣地跡は神社の前にあった。人家の多いなかを通り、
今度は開戦地に向かう。
なかなか高低差もあり、各将の陣地は自転車でいってもそこそこ離れている。
その上に自転車で走ってみると、結構起伏のある地形である。
これでは伝令なども大変だっただろう。
開戦地の碑のすぐ近くには小西行長の陣跡もある。
その陣跡から家康の初陣跡の桃配山や南宮山の方向を見たが、
その方角であっているのかいまいちわからない。
この後大谷吉継の陣跡にも寄ってみたかったが、
少し遠いようなのでここで引き返す。
線路から見ただけではいまいち広いようには見えなかったが、
実際めぐってみると敵陣との間はかなり広いように見える。
これでは実際に敵とぶつかるまでに疲れてしまいそうに思う。
まして陣取っているのは小高いところが多く、上り下りは面倒そうだ。
昔の人は皆が皆健脚だったのだろうか。

資料館に引き返すとき、農家の横を通りがかる。
資料館の説明によれば、戦争が終わっても住民達は取った首に死化粧を施す作業などを
手伝わされたとあり、受難であったらしい。
そういえば、あれだけの規模の戦いでは田畑はどうなったであろうか。
合戦当時は首が連なっていたかもしれない軒先に、今日は玉ねぎが連なって吊るされている。
そんなのどかな集落の中を抜けて、大通り沿いに資料館に引き返し、
自転車を返却して徒歩で駅に帰る。
自転車は少し小さく、レンタサイクルらしく少しガタのきている物もあったが、
無いよりはいい。
帰って見ると、一時間半程度ですべて終えて帰ってきたようだ。
これも予想以上に早い。ガイドによれば戦地めぐりで一時間半であったが、
それは徒歩での時間なのであろう。
岐阜と関ヶ原という、離れた二カ所の史跡を巡るので、
案外時間がかかるかと思っていたが、以外にも早かった。
当時は両軍あわせて16万ほどの軍勢がひしめいていたとされるが、
休日とはいえ交通の便のせいもあるのか、岐阜よりは観光客は少なめである。
今日は休日でもあり、久しぶりの太陽は熱くもあるがさわやかで、なんともゆるやかな空気である。
駅までの帰り道を歩いていると、ここで昔そんなに大規模な戦争があったとはとても思えなかった。

岐阜城1
岐阜城2
岐阜城3
天守からの展望
井戸
井戸説明板
関ヶ原駅
関ヶ原 駅名板
関ヶ原駅 武将の紹介看板
関ヶ原駅 鉄道唱歌碑
東首塚
町役場と資料館方面
歴史民俗資料館
徳川家康最後陣跡
最後陣跡説明板
決戦地
笹尾山石田三成陣跡
石田三成陣跡
島津義弘陣跡
開戦地
開戦地説明板
小西行長陣跡
小西行長陣跡説明板
開戦地から東南方向を眺める

おまけ(今回の土産)
「超~ミニのぼり」
「超~ミニのぼり」
こちらは500円。ガイドに載っていた「ミニのぼり」は1000円であったが、現物を見ると想像より大きかった。実際に想像していたのはこちらのサイズであった。
他にも様々なグッズがあり、関ヶ原に関係ない武将の物もあった。それぞれのセンスは光るものがある。歴史好きどうしなら分かってもらえるような物もある。
気になっていた関ヶ原合戦図屏風のミニチュアは少し画質がいまいちで、値段もなんなので今回は割愛。普通の写真版などあれば参考資料として役に立つのだが。
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