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青春18きっぷの旅2008 名松線
今回は名松線へのリベンジの回である。
本来なら一番後回しにしようと思っていたのだが、急遽日程が空いたため、
差し込みやすい計画をはめることになったので早くもリベンジとなった。
ルートは京都から草津、草津線で柘植、柘植から関西本線で松阪まで行くルートとした。
草津で乗り換えた草津線に乗るのは久々であったが、以前ほど揺れがないような気がする。
軌道に手入れがされたという話しも聞いたが、そうなのだろうか。
沿線も郊外の感が早くも出てきて、思っていたよりもおもしろい。
駅は新しくなったところも多いようで、忍者イメージの駅もあって楽しい。
地名にもなにやら歴史を感じるようなところが多く、地味そうな路線のイメージだが奥が深い。
柘植で乗り換えて、関西本線を通る。
本能寺の変の時家康が越えたという加太越えを追体験するようで、
よくここに線路を通したな、というような険しいところも走る。
加太を越える際には忍者が護衛をしたともいう。
確かに言われてみれば脇からそういう人が飛び出してきそうな雰囲気がある。
沿線の木をみると、今にも花粉を放出しそうな色をしている杉が多く見える。
そろそろそんなシーズンである。
亀山で乗り換えるが、後の列車でも名松線には間に合うので、
ものの本で読んだように、少し寂しいけれど情緒があるらしい亀山がどうなったか見てみたかったが、
車窓から見たところ新しいマンション等も見えて意外と賑やかそうなのもあって、
先に松阪まで行ってしまう事にした。

ここから先も下庄に一身田と、歴史に興味があるなら気になるような名前の駅が続く。
松阪について、まず駅弁を探した。改札の側にあって、まだ早いのになかなか盛況である。
もちろん牛肉に絡んだ弁当を買う気でいたが、上は3000円くらいの品があって、
今日はそれが入荷されていると進められたが、一番ベタな元祖特撰牛肉弁当にする。
時間が空くので待合室でしばらく待つ。
2本の「南紀」を見送ったが、方向が違うとはいえあの日あんなに混んでいたのが嘘のようだ。
あの日は名松線に乗れないという不運もあって、本当に悪い事は続くものなのだと思わされた。
ようやく名松線の列車が入線した。発車前に駅員がタブレットを持って来た。
正確にはなんというのかよく知らないが、昔本で見た事があるのでこれもタブレットに含めてよいのだろうか。
よく調べてこなかったが、この路線ではいまでも特殊な信号方式が残っていたのだった。
乗車数を数えてみると、私を含めて6人であったが、発車間際に親子が駆け込んできて8人になり、
それで出発した。
私が予想していたのは10人くらいだったので、なかなかの精度かもしれない。
列車はしばらく、先ほど走ってきた紀勢線の線路を走り、ようやく分岐した。
土地は空いているみたいだが、意外とすぐには線路が分かれない。
途中の伊勢八太からお年寄りの一団が乗り込んできたが、そのほかはあまり乗降は無い。
次の一志はこの前の旅行の私の旅行計画の要であったが、確かに近鉄の架線がすぐに見えており、
計画は可能であっただろうと思う。
しかし今となってはこの駅を乗り換えに使うでもないので、漫然と眺めただけであった。
もし今回も例の計画を使うなら、もう少しまじまじと見つめたかもしれないが。

列車は蛇行する川を何度か渡りながら走り、中心駅である家城に着いた。
ここで客数が減った。駅員配置駅であり、タブレット交換も見られる。
私は初めてそのやりとりを見た。
ほどなくして信号が変わって発車する。
次の伊勢竹原までは、名前の通りなのか確かに沿線に竹が多い。
家城を出てからの線形は曲がりくねっており、
線路も川と斜面に挟まれたわずかな土地の上に敷かれており、
よくこのルートを選んだものだと思う。
落石と書かれた信号や看板が目に付いて、予想以上に険しいところを走る路線のようだ。
前日の疲れもあってか、スピードが落ちたせいもあるし眠気に襲われてきた。
名松線最後の抵抗といったところか。しかしあと少しだから名松線は落城寸前ではある。
眠気と戦いながらようやく終点伊勢奥津につく。
片面一線のホームの先に車止め、使われていない古い給水塔のような物がぽつんとあるだけの質素な駅であった。
名松線の名はここから名張まで行く予定だったからあるのだが、今は線路が途切れていて、
この先に伸びそうな雰囲気を感じさせるものはない。
奥津というだけあるのか、確かに一番奥まったところにあってこれ以上進めそうにない。
そもそも「奥」を「おき」と読むこともひねくれているような気がしてきた。
しかし私はこの終点らしい雰囲気を気に入った。
寄り添う路線もなければ、連絡する路線もない盲腸線こそローカル線の純度が高いのだと思った。
そういう点では孤独な路線だが、孤高のローカル線、といった風格すら感じる。
それはこの前私を手こずらせたからなのか、「敵の御大将も天晴れ」とでもいうような気分でもある。
とにかく私は名松線へのリベンジをここに果たしたのである。

列車から乗客がすべて降りると運転士は詰め所へ入り、ホーム上は無人になった。
駅舎を見ると、以外にも新しく、改装されたようだ。
しかし外に出てみると、住民センターのようなものが3分の2、駅舎の機能は3分の1といったところであった。
トイレも駅の中ではなく、駅の外にあってなんだか駅の存在が軽い気がする。
駅前には意外と、といってはなんだが、民家はそこそこみえる。
本数の少ない傾いたバス停、小さな観光案内板が見えるが、どの名所も数キロ離れている。
やはり一種の秘境駅ともいえる。
駅の前では住人による朝市も開かれている。すでに昼市とでもいうべき時間帯であるがまだ開いている。
それもこの乗客数であるからすぐに撤収してしまった。
駅前に佇んでいると、車は通るし、駐車場も利用されるが、
単に通り抜けるだけだったり、トイレに行くだけだったりして駅に用事のある人は来なかった。
ここで駅弁を開くと、確かに肉質がやわらかく、買ってからしばらくたっているが硬くなっていない。
やはり肉の駅弁では相当な技術を持っているのが松阪なのかもしれない。
駅舎の中を見渡すとノートがおかれていて、そのためのラックが置かれているところを見るとこのノートは公認された存在のようだ。
冊数は結構多い。
待っている間に折り返しの準備が整ったが、折り返しの人数は6人であった。
1人は地元の学生、2人は知り合いらしいおばさん、残り3人は私を含めて同業者らしい。
それを除くと折り返しの普段の状況は三人程度、ということになるか。
折り返しの列車の出発後もやはり眠い。腹がふくれたせいもある。
名松線がまだ抵抗しているのかもしれない。しかしもう戦いは終わっている。
行きしには睡魔との格闘のせいか気付きにくかったが、
茶畑が多い。茶屋の看板も目に付いてくる。貯木場も見え、林業も盛んらしい。
また、さっきは全くに気付かなかったが遊園地のようなものもあった。
しかし閉まっているようだ。
帰りも家城から学生が乗り込んでくるが、
花を持った人も居て今が卒業式シーズンだと知る。
車内に春を感じさせながら、列車は松阪に着いた。
先ほどと同じルートで帰るが、紀勢線内でも眠気に負ける。
今回の行程のかなりの割合で寝ていたかもしれない。
しかし、名松線内では健闘し、往復ではとりあえず全区間起きていたことにできるだろう。
再び関西本線を越え、草津線に乗ったが、帰りはやけに跳ねる。
車端部に乗っているせいかと思い、席を移したがまだはねる。
どうやら草津から遠いほど路盤がわるいのか、草津に近づくと徐々に落ち着いてきた。
この車内でもまだ多少眠気が残っていたが、名松線は捉えた今回、
収穫を得て帰れるのはうれしいことであった。

関西本線列車
松阪駅名板
名松線列車
名松線列車
伊勢奥津構内
伊勢奥津駅名板
伊勢奥津駅舎
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