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嵯峨野線全駅シリーズ11 並河
由来・・桂川(保津川)に沿う地形から。
駅の横に昔の車両が展示されている。

昭和10年7月20日開業

駅舎
駅名板
構内


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嵯峨野線全駅シリーズ10 亀岡
由来・・もとは亀山という地名だった。「亀」は神から転じたとも。山陰道と篠山街道の分岐点の宿場町。
明智光秀が1570年代末に亀山城を築いたことで知られる。伊勢亀山藩との区別のため1869年亀岡に改称。

というように光秀との縁があって、今でもその関連の祭りなども多い。
その後の支配者の系統からすれば反逆者にしてしまうのが常道だが、地元ではそうではない、という例だろうと思う。

電化されてやはり乗客が増えた。ここ止まりの電車も運転され、構内も中核的中間駅の様相だ。
今現在複線化にあわせて駅舎の改築がなされている。
明治32年8月15日開業
構内(改装中)
駅名板
構内2(改装中)
仮駅舎
跨線橋
旧駅舎


嵯峨野線全駅シリーズ9 馬堀
由来・・うままわり、から転じたとも馬に関係する堀があったとも言われる。
山陰道の宿場町。

電化以来ベッドタウン化がすすんで乗降客も増えた。
トロッコの駅には少し歩かないといけない。

昭和10年7月20日開業
構内
駅名板
駅舎
横断幕



嵯峨野線全駅シリーズ8 保津峡
由来・・保の字は古代の制度で50戸の集落を保といった。
津は川の港の意。角倉了以の開削した保津川(桂川)が駅の下を流れている。橋の上にあるような駅で、真下が「保津川下り」で知られるような激流が流れていてスリリングな構図だ。
トンネルを経由する新線につけかえられて場所が変わった。
その旧線を利用してトロッコ列車が走っている。
電車に乗っているとたまにトロッコも見える。
無人駅だが、駅舎のある位置の関係で駅自体は京都市内にあることになっているが、両端をトンネルに囲まれてかなりの山奥だ。
昭和11年4月15日開業
駅舎1
駅舎2
駅の構図
駅の下を見る
改札
改札2
トンネル
構内
駅名板
駅の下
船が見えることも


嵯峨野線全駅シリーズ7 嵯峨嵐山
由来・・王朝期から貴族の行楽地として知られる。
沙河とも書いた。坂野から来ているという説もあるようだ。
京福の「嵯峨駅前」は近いが、阪急の嵐山へは少し遠い。
改札を出てすぐのところにトロッコ列車の嵯峨駅がある。
もともとは嵯峨という駅名だったが、平成6年(1994年)に嵯峨嵐山に改称した。
2面3線と呼ばれる構造で、高架化されるときに今の駅舎は変わるということだが、今の駅舎は結構古い。
周辺には観光資源が多く、多客時には臨時列車が走る事もある。
この前は嵯峨嵐山で折り返す電車が臨時で出ていたが、LEDの行き先がなぜか間違って湖西線を表示していたりした。
その列車からかなりの客が吐き出されてきたから増発をしていなかったら大変だっただろうと思うほどの人出だった。
明治30年2月15日開業

JR側からトロッコ側を見る
駅舎
駅名板
構内
構内2
構内3
駅名板2
駅舎本屋側
案内板


嵯峨野線全駅シリーズ6 太秦
由来・・機織を日本に伝えたとされる渡来人系の秦氏に関連がある。
雄略天皇の時代、絹をうず高く献上したので禹都満佐(うずまさ)の姓を賜ったので太秦というようになった。
平成元年3月11日開業
わりと新しい駅で、映画村も近い。

駅名板
駅舎
構内



嵯峨野線全駅シリーズ5 花園
由来・・「令儀解」(養老律令の注釈書)を著した平安初期の清原夏野の別荘があり、花園と称された。
花園上皇が離宮を造営し、妙心寺へとつながっていく。
京都市内の駅名は古い物が多い。
開業は明治31年1月1日。
正月が開業日とは珍しいと思う。
蓮で知られる法金剛院や禅宗の寺で最大級の伽藍を持つ臨済宗妙心寺派中心寺院の妙心寺もある。
太秦映画村へもちょっと道が分かりづらいが歩いていける距離である。この駅からも行く人がいて、駅員に道を尋ねている人も見かける。
あと、兼好法師で知られる双ヶ岡などもある。
昔はキオスクがあったが今は無く、代わりに駅隣にコンビニが出来ていた。
昔は地上だったがいまは高架になっている。
いまは高架はここで終点だが複線化工事が進めばこのさきも高架になるらしい。
複線区間も二条~花園で今は終わっている。
後はまだ嵯峨嵐山~馬堀間が複線になっているだけだ。
駅前の床には石でできたモニュメントが埋められていてそれぞれの方向に寺社の名前などが記されている。
足元だけによくみないと意外と気付かない。
ホームの屋根は二条ほどではないが柱は凝っている。
久しぶりに来て見るとホームに花が置かれていたりしてちょっと印象が違った。
駅前モニュメント
モニュメント(拡大)
駅舎(北側)
構内1
改札1
改札2
駅舎(南側)
構内
駅名板
屋根
駅名板2
屋根2
精算機&チャージ機
駅舎2



とりあえず
昨日カウンターを見ると1000を超えていた。
一日当たりだとたいしたことはないのでとりあえずの御報告といったところだろうか。
一日当たりだとかなり少ないけれどもだれかは見てくれていることにネットの広さを見た気がした。
これからどうなっていくかはわからないけれどいままで見てくれた人とこれから見てくれる人に感謝したい。
嵯峨野線全駅シリーズ4 円町
由来は丸太町と西大路の交差点が西ノ京円町と呼ばれていたことから。
となっているがやっぱり何で円町なのかあんまりわからない。
子供の時は銀行が角にあったからその関連ではないかなんて思っていた。地名自体は古いようだが、昔の京都に西側というのはあんまり発展しなかったから、今の円町の駅前は発展した方だろう。
駅は新しく、平成12年9月23日の開業だ。
昔は止まらなかったが、いまは快速もとまる。
それに際しては地元の高校や大学からの要請があったとも言われているがどうなのだろう。
快速が止まりだしてからさらに発展には加速が付いたように思う。
駅が新しいのでデザインもちょっと違う。時刻表の支柱なんかも少し凝っている。
駅が出来ていくのを側を通過する列車から眺めていると本当にあんなに狭いところに駅を作れるのかと思った。
だから駅のホームは少し狭い。
これを取材に行った頃はちょうど乗車位置の案内が↑から△に替わっていたころで、発車案内などもすでに大概の駅で替わっていた。
時刻表
発車案内
駅名板
構内
構内2
駅舎(北側)
駅舎(南側)


嵯峨野線全駅シリーズ3 二条
由来は京都での位置の表し方(昔の条坊制)による。
駅舎の内部は木が使われていてなかなかのデザイン。
快速、特急も停まる。
グッドデザイン賞にも選ばれた。
京都市営地下鉄東西線(二条~六地蔵)への乗換駅。
高校時代私はここで乗り換えて通学した。
最近は利便性もあってビルが立ち並びはじめ、むかしヤードがあった部分などを利用して駅前の再開発もすすんでいる。
貴重な旧駅舎は今梅小路の機関車館に展示されている。
二代連続で駅舎にはこだわりを感じる。
写真を撮りに行った日はたまたま嵯峨嵐山で折り返す臨時列車の運転日だったのでその案内等も・・。
観光シーズンになるといろいろ運転されるのもこの路線の特色ではある。
接近時に点灯するサインは221系もどきのようなサインだが、昔臨時では走っていたが普段走っていない221系のような車両がサインに使われていたのが不思議だった。
明治30年2月15日開業

構内
屋根裏
屋根裏2
屋根裏3
案内板
地下鉄入り口
西口
商業施設(西口)
西口駅前広場
東口
商業施設(東口)
駅エンブレム
特急編成案内
臨時案内
臨時案内2
接近案内
駅名板



嵯峨野線全駅シリーズ2 丹波口
平安京から各地方への出入り口である京の七口(長坂口、大原口、荒神口、粟田口、伏見口など)の一つ。
山陰街道(丹波路)の起点。
七つ以上あるという話もあるとか。
子供の頃、丹波という地名はしっていたからどうしてこんなとこに丹波があるのかと思ったが、あくまでも入り口であると思えばわかる。
周辺に新撰組で知られる壬生寺や角屋で知られる島原の花街もある。
高架駅で、嵯峨野線内では二条~花園間が高架化されるまではちょっとだけの唯一の高架区間だった。
だからいまだにパタパタ回る案内板もある。
京都~丹波口間に梅小路への短絡線があり、京都に向かっていくと右に離れていく路線が見つかる。
あれはなにかとずっと子供の頃は不思議に思っていたが、最近大阪方面から嵯峨嵐山への直通列車が臨時で走ったりしてみる事も出来た。
そこを使って嵯峨野線から大阪方面へ直通する構想もあるとのこと。
明治30年4月27日開業
駅名板
列車案内板
構内1
構内2
京都方をのぞむ
駅舎
記念碑
駅舎2
駅構内



嵯峨野線全駅シリーズ1
まずは京都駅から。
これからしばらく一駅ずついろいろ紹介していきたいと思う。
由来については「JR・第3セクター全駅名ルーツ事典」等を参照した。
言わずとも都という意味の文字が二つ連なっているが、もともと京は高台の意で、都は天子の住むところ、ということ。
意ってしまえばそのままだ。
0番線(昔の1番線)が日本一長いホーム、としても知られている。
改札は烏丸口(駅ビル側)、八条口(新幹線側)、西口(跨線橋上)などがある。
JR以外は近鉄、地下鉄がある。
駅ビルの大階段ではイベントも行われるほか毎年恒例の大階段駆け上がり大会もある。
明治10年2月6日開業
烏丸口
駅ビル吹き抜け
嵯峨野線ホーム1
嵯峨野線ホーム2
駅名板



追い越し
関西の複々線区間では追い抜きのシ-ンが見られる。
新快速が特に追い越しの名手であろう。
併走するとしばらくどっちも止まったように見え、お互いの客の顔も見えたりする。
今日久しぶりにそれを体験した。
四本線路が並んでいる姿は十分貫禄がある。
車窓はテレビより面白い 宮脇俊三 徳間文庫
タイトルだと車窓についてがメインだと思うだろうが、車外を歩く事もある。
御殿場線という路線の栄枯盛衰を見極めるためもと複線だった後を歩く。
鉄道にも歴史はある。著者がこの後廃線後についてもいろいろ書くようになるが、御殿場線はその興味を惹くのに十分だろうと思う。
小学校の頃、学校の本棚に「御殿場線ものがたり」という絵本があった。
そのころは昔の鉄道なんて物に興味は無く、ひたすら先進の技術の方に目が向いていた。
だから絵本の中で機関車がかなりしんどいおもいで御殿場線を通る絵を見ると、随分昔は苦労が多かったんだなぁと思った。
と同時に、その路線の行く末は子供心にも訴えかけるものがあった。

湧網線という路線が廃止になる章で、いままで何度かこの路線に関する記述を見たが、乗れなかったことが惜しいと思わせるような文章だった。
この章には著者のローカル線に対する考えの詰まった一文で終わっていた。
「ローカル線は地元の人のもの。鉄道マニアのものではないのだ。」
色々考えさせられる一文である。
ローカル線との付き合い方を長年の経験から搾り出した一文だろう。

この本にはローカル私鉄が今回多く出てくる。
第3セクターの口火を切った三陸鉄道、蒸気機関車とラック・レール鉄道で知られる大井川鉄道など、小さくても印象深い私鉄が登場する。
国鉄から切り離された路線をひきとって頑張る姿を見れば、行きたいと思わされる。
その一つの宮福鉄道(現:北近畿タンゴ鉄道)もなぜか私とは縁がある。
何回かちゃんとした用事で乗った。
著者は宮福線開業の時に乗っているが、何度か開業時に乗った話が出てくる。
その時の地元の人々の表情や様子は鉄道に対する地元の人々の意思の表れで、読んでいるとなぜかほほえましく思えた。
解説で奥野健男氏が言うように、これらの文章は実際出掛けたくなるが、文章のうまさでわざわざ行かなくても行った気になる罪作りな文章でもある。
報道のパワー
鉄道は、雪に強いといわれている。
除雪は必要だけど、意外と強い。
それでも止まる様な雪が降ったら逆らえない。
珍しい方がニュースになるから、よくニュースになる。
だから視聴者に蓄積されたイメージで雪に弱いかのように思われるかもしれない。
鉄道についてはプラスもマイナスも報道があるが、報道があるという事は関心事としての地位を保っているという事でもあると思う。
これからの鉄道のイメージはどう変わっていくのだろうか。

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